新年度がスタートする4月は、職場に初々しい新入社員が入ってくるシーズンだ。これまで業界に携わったことがなく、右も左も分からない状態の新入社員も多いはず。また、そんな新入社員からどんな質問を受けるかドキドキしている先輩社員もいるだろう。そこで初の試みとしてインスタグラムのストーリーズ機能を使用し、今さら聞けない素朴な質問から長らく抱いていた疑問までを募集。4月8日発売号の紙面で、編集長をはじめとした編集部員を総動員して回答した。しかし、紙面では伝えきれないものも数知れず。ここではそのうちのいくつかを紹介する。
パリコレって結局私たちの服にどう反映されてるんですか?
1980年代から2010年代前半までは、「半年に1回発表されるパリコレの服を、アパレルメーカーやファストファッションが参照(時にはコピー)して量産してもうける」ことがファッションビジネスのひとつの柱でした。しかし最近はその状況が変わり、トレンドの変化の波は小さく、また、ランウエイだけではなくSNSやストリートといった地点からトレンドが生まれるケースが増えています。
しかし、パリコレを始めとするデザイナーブランドの影響力は健在です。例えば最近、影響力が強いブランドは「グッチ(GUCCI)」や「バレンシアガ(BALENCIAGA)」ですが、あなたの周りにかかとを切り落としたようなローファーを履いている人がいたらそれは「グッチ」から、厚底スニーカーを履いている人がいたらそれは「バレンシアガ」からの影響が大です。ちなみに、ニット(編物)と布帛(織物)を切り替えたようなトップスは「サカイ(SACAI)」が15年以上前から作り続けたことで浸透したデザインです。
影響力が健在な理由はシンプルです。パリコレで名が知られるデザイナーたちは、新しい服作りに対して本気だからです。“本気”だなんて青臭いようですが、これがとても重要です。他者が真似したくなる、新しいデザインを生み出すことは容易ではありません。新しいカタチが出尽くしたと言える現代は、素材の選択やパターンの研究も重要です。例えば同じ白いTシャツでも、去年より少し丈が短いTシャツが魅力的に見える、そんな私たちの心理の背景にも“本気の”デザイナーがデザインしたTシャツが関係していたりします。
また最近は、ファッションブランドと社会的メッセージが以前より密接になっています。パリやミラノで発表している大手企業だけではなく、新進デザイナーの多くがサステイナブルや多様性といった新しい価値観に向き合い、服を通じて伝えることでムーブメントが生まれています。そういった意味でも間接的に私たちが選び着る服と関係していると言えます。(編集長C.M.)
やっぱりストリートからテーラードがトレンドになっていきますか?
ナイロン製のシャカシャカブルゾンやグラフィックプリントのロンT、ガチャベルト、スニーカーが一気に廃れるとは思いません。けれど「オフ-ホワイト c/o ヴァージル アブロー(OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH)」や「ヴェトモン(VETEMENTS)」風の安直なストリートは、次の1〜2年で淘汰されるでしょう。代わりに台頭するのは、フォーマル。ストリートブームの中、「俺は、何を着たらいいんだ?」と思っていたオジさん、「フーディー以外も着たくね?」と考えている若い世代に贈る、装いの原点に立ち返ったスタイルです。ただ全体的にオーバーサイズだったり、スーツ生地を使ったブルゾンだったり、ボディーバッグやスニーカーを合わせたりと、ストリート経験者の“視点”が生きたフォーマルになるでしょう。
“モード”はフランス語で、日本語訳は“流行”。英語訳は“ファッション”。従って“モード系ファッション”は本来、“頭痛が痛い”に近い誤用法です。日本では“モード系ファッション”という言葉は、すなわち全身真っ黒や、個性的なフォームの洋服を着た人・スタイルを指して使用することがありますが、これは本家のフランスでは通用しない“モード”の誤った使い方です。このような誤用が生まれる背景には、個性的であることを良しとしない日本社会の根強い価値観が影響していると思われます。「WWDジャパン」読者のフレッシャーズの皆さんには、“モード”とは“時代の半歩先をキャッチし、新しい価値観を通じて誰かを今より少しハッピーにするファッション”くらいのニュアンスで使用してほしいと思います。
一言で言えば、“今”を象徴する最先端のスタイル、もしくは“未来”に通じる半歩先のスタイルだと思います。真っ黒でスキニー&シャープなスタイルだけがモードではありません。それが新しくて、“今”という時代と密接にリンクしていたり、ファッション業界の“未来”を切り開く力を持っていたりすれば、トラッドだって“モード”です。トレンドとは、どこかで生まれ、周りに少しずつ広がり、気づいたら爆発的に増殖し、飽きられ、終焉を迎えます。“モード”は“少しずつ広がる”くらいまでのステージにあって、時代にフィットしているから今後爆発的に広がりそう、だから社会や経済に大きな影響を与える可能性を秘めている胎動です。
カール・ラガーフェルドの功績って?
最大の功績は、ココ・シャネル(Coco Chanel)が生み出したアイコンを現代的に蘇らせ、“死んだブランド”とまで言われた「シャネル(CHANEL)」を一大ラグジュアリーブランドへと復活させたことです。カール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)が「シャネル」のデザイナーに就任したのは、37年前の1982年。現在におけるアーティスティック・ディレクターの先駆けでもあり、80年代の「シャネル」のコレクションは今見ても古さを感じさせないことに驚きます。「フェンディ(FENDI)」では半世紀以上(1965年〜)、「クロエ(CHLOE)」でも25年以上デザイナーを務め(1964〜78, 92〜97年)、自身の「カール・ラガーフェルド」も手掛けていたので(1984年〜)、最も多彩で多作なデザイナーでもありました。
日本流行色協会のように世界各国に流行色協会やリサーチ会社が存在し、それぞれがトレンドカラーを予測しています。この予測は、ライフスタイルの変化や社会情勢などと密接に関わっていて、コレクションは1年先のシーズンのショーを発表していますが、カラーはそれよりももっと先の予測をしています。とはいえ、必ずしもデザイナーやアパレル企画担当者がこれらの団体や組織が提案する色を採用するとは限らず、自分のインスピレーションや感覚からその時に使いたい色を採用することも多いのではないでしょうか。社会のムードを敏感にキャッチするデザイナーたちの間で、結果的に使用するカラーが同じ傾向だったということも多々あると思います。
製造小売業の略で、自社のオリジナルブランドを自身の店舗で売る業態のことです。初めてこの単語を使って自らを定義したのは80年代の「ギャップ(GAP)」です。今となっては無数のSPAがありますが(「ユニクロ」も「アースミュージック&エコロジー」も「マウジー」もみんなそう)、当時は非常に先進的なビジネスモデルでした。それまでのアパレル産業は、作り手(ブランド側)と売り手(小売店)が別で、ブランド側が商品を消費者に届けるためには、百貨店や専門店に売ってもらう必要がありました。しかし、SPAは作り手と売り手が一体のため、その分中間コストがかからないうえ、店頭での売れ行き状況などをダイレクトに企画に反映できるようになったのです。